労働の未来 2009 12 5

 政治家は、現状の厳しい雇用情勢の改善に、
全力で取り組まなければならない。
 しかし、今日は、そういう短期的な問題ではなく、
長期的な未来を考えてみたい。
 今は、不景気で厳しい雇用情勢となっていますが、
将来は、景気が回復しても、
雇用情勢は、あまり改善しないかもしれません。
 なぜか。
昔、私が子供のころ、工場を見学したことがあります。
そこでは、工員が、ベルトコンベアの上に乗って流れてくる部品を、
手にとって、製品を組み立てる作業をしていました。
 このような労働形態でしたら、景気が回復すれば、
雇用情勢は、急速に改善するでしょう。
 今は、どうか。
工場に行くと、まるで無人の工場に見えます。
ロボットが製品を組み立てるどころか、やがて、
ロボットがロボットを作っている光景すら出現するでしょう。
 工場の廊下は、製品を運搬するロボットが、
器用に人間を避けて通過していく。
 事務部門においては、
かつては、庶務が電卓で計算していた給料や出張旅費を、
コンピューターが代行しています。
おそらく、定型的な事務作業は、
すべてコンピューターが人間に代わって作業していくでしょう。
 悲観的な言い方では、
ロボットやコンピューターが、人間から仕事を奪いつつあると言えるでしょう。
 別の見方をすれば、
ロボットやコンピューターが、人間を労働から解放していると言えるでしょう。
 100年後の未来では、
単純作業や事務は、ロボットやコンピューターが行うので、
人間は、週5日も働く必要はなくなるでしょう。
週3日労働か、週2日労働か、そういうレベルになるでしょう。
 その時、どうなるか。
これは、人類に希望ではなく、試練を与えることになるでしょう。
 労働から解放されて、自由時間が増えた。
その時間をどう使うか。
創造的な時間とすることができるか、あるいは堕落と娯楽に走るのか。
その時、人類に試練の時が来るでしょう。
 享楽に溺れる人間が多数出現した時、
人類は、最大の危機を迎えるでしょう。
 自由な時間ができた。
それは、創造的な活動に使うべきだった。
しかし、享楽に溺れる人間が多数出現してしまった。
 キリスト教やユダヤ教、あるいはイスラム教の法則に従えば、
神の怒りが地に落ちるでしょう。
「このような文明を存続させても、人類が堕落するだけだ」と考えるでしょう。








































































































































































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